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[5245-ウルリッヒ・ベックの社会論](2019/03/07(Thu.) )

東日本大震災から、まもまく8年経ちます。
今でも、選挙の関係で東北に行くと、まだまだ復興は難しいのだと思います。
見た目の街が復興しても、被災された方々の心、そしてまた「東北を避けるような他地方の目」は判然とあります。
ここまで書いてよいのか分かりませんが・・・
私の知人にも「東北はまだ怖いから温泉は南の方で」と偏見を持ち続けている方もいるのです。
そして最近、改めて、3年前に亡くなったドイツの社会学者の言葉を思い出すのです。
現代社会が抱えるリスクを警告した著書「危険社会」(1986年)で知られ、
福島第1原子力発電所事故を受け、脱原発を提言したドイツ政府の諮問機関
「倫理委員会」のメンバーも務めたウルリッヒ・ベックという社会学者がいました。
彼は地震などの災害による「原発の危険性」を指摘していました。
生前、彼の提言どおりにドイツでは「発展した現代社会の異物である原発段階的撤廃」を早々に決めました。
彼が「リスク社会論」で述べたところによれば、経済や科学技術の発展による富の社会的生産や政治的変革と並行して
多様で複雑化したリスクが社会的に生産される社会が出現したといいます。
まさにこれは、戦後の高度経済成長にのって、高生産化・合理化・効率化を求めてきた”日本の現実”でもあって。
ドイツで語った、彼の言葉は日本人の我々にも響きます。
果たして、日本は「3.11」の後に何処へ向かうべきなのでしょうか。
そんな事を考えている内に、その他の大地震が次対起こり、時代に思考が取り残されていく我々がいます。
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すなわち,自立的かつ自律的に見える産業主義のシステムは、
この21世紀初頭、自らの論理と境界を打ち破ることによって、自己を解消する過程に入った。
この根本的な変化が,近代化が再帰的となる現代の位相の特徴なのである。
近代化は、産業主義的近代の内部でさまざまな経路や潜在的可能性について苦心し続けるのをやめ、
今や、産業主義的国民国家の社会的、政治的、文化的な基本原理と基本制度を捉え、
これらを破壊することによって、産業主義的近代と対立する新しい潜在的可能性を拓く。
(ウルリッヒ・ベック)
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