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[5244-新たな差別を生む可能性もある](2019/03/06(Wed.) )

前に日記に書きましたが、私が議員になって初めて触れた”政治新語”は『ジェンダー(gender)』でした。
選挙前、改めて思い出しました。

日本では『社会的文化的性差』という意味で捉えがちですが、本来は『社会的・文化的な性のありよう』が正訳。
だからなのか、「男女間の性的長所」の議論を先に封じ、「男女間の性的短所」ばかり論じ合ってきた感が。
実際に、私が大学生の時(1985年)に制定された「男女雇用機会均等法」からのそんな流れを汲んで、
「男女共同参画」という名のもとに女性中心的な行政事業が”ジェンダー事業”として拡散しています。
しかし本来は、『社会的・文化的な性のありよう』が政治では論じられるべきで、
男女が共に先天的に持っている特性や、性同一性について、
社会や政治が如何にあるべきかを考えることが重要なのだと思われます。

こうした人権感覚が進んでくると、政治の舞台でも様々な「弱者保護」の議論が出てきます。
最近では『アファーマティブ・アクション(affirmative action)』もその一例かもしれません。
これは「弱者優遇政策」のこと全体を指す言葉ですが、例えば、アメリカの民族比率に応じた従業員比率。
あるいは、大学入学定員の少数民族優遇策、管理職の民族比率の励行、etc,.
この「民族差別」の解放の意で唱えられた言葉を、日本では「生活弱者」に適用しようという左翼的な動きもあります。
・・・というのも・・・
この『アファーマティブ・アクション』という言葉の裏には故意に「差別」を社会論として浮き上がらせ、
「民族論で唱えらえる優遇政策要求」の歯止めにしようとする輩もいるからです。
まさに、社会に潜在的にある「差別」を先んじて論じ、それを守ることは「逆差別」のように煽る風潮。
実際、アメリカの大学の一部では、アファーマティブ・アクションを施行していることに対して強い批判があります。
学力が無い者を受け入れているという批判です。
また、企業においても就業能力の無いものを採用しなくてはならないことへの批判です。
事左様に、アメリカでは「差別主義」への批判を先んじて制し、「逆差別」ではないかという議論の種にもしているのです。

       政治は難しい。
       特に「民族・宗教・生活格差」を語る時には要注意。
       「差別」を問題にして取り上げている裏に、「差別主義」の先制攻撃の意図があったりする。
       交渉事の要諦でもありますが、「相手が問題にするより先に論じて安きで解決させる」という。    
       台東区議会でも、与党連が「子育て・高齢者福祉」の論議で使用する手法です。
       最初に”課題”を取り上げた者が、その”課題”の理解者だとは限らない。
       ここが政治の難しいところです。 


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