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[5243-「孤独なボーリング」 コミュニティ論](2019/03/05(Tue.) )

選挙前、またコミュニティ論の教科書である本を読んでいました。
孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生 単行本 – 2006柏書房
ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原著), 柴内 康文 (翻訳)
【解題】
表紙の丸い写真は「ボーリング」風景。
通常「ボーリング」ゲームはグループでするのですが。
それを一人でするという”孤独”感を意味しているのです。
この本の中身は、アメリカのボーリングを愛するコミュニティの話です。
日本人には不思議でしょうが、戦後、アメリカではボーリングが町の娯楽であり、地域コミュニティの礎でもあったのです。
そう、台東区における「町会」や「お祭りの会」のように。
第二次大戦以後、あらゆる組織が活性化していて未来永劫参加者は増え続くものに見えていたのですが、
やがて参加者は減少し活動は縮小していく傾向に。この原因は何であったのだろうか?
日本も同じような現象が起きています。町会の組織率低下とか・・・。
あらゆる組織が、参加者の減少により高齢化とともに消滅しつつあるのです。
コミュニティにおける「社会関係資本」とは、人間関係である「コネ作り」のことですね。
「誰を知っているか」が仕事を見つけることでもありました。
アメリカも日本も発展している時期にはこの「社会関係資本」がものをいったのです。同郷、学閥、同門など。
これらの関係は、結束でもあり、橋渡しでもあるのですが、決して重要な要素ではなくなってしまいました。
だからなのか、旅行を扱う代理店にしても、銀行・保険などの営業にしても、
町会などの一つに団体と深く付き合っていた「担当者」の価値が薄れてきた感。
つまり、専属で「コミュニティ」と付き合うメリットが、その組織率の低下で段々となくなってきたのです。
また、旧来の「コネ」世代であるベビーブーマーは60〜70代になり、現役を離れはじめているのです。
だからこそ、コミュニティの精力的な創始者達は80代になってしまい求心力を失ったのです。
そこで、本書は読者に語りかけます。
著者は膨大な資料と事例とを揚げながら、冒頭の序論の最終部で本書の目的を具体的に書いているのです。
64歳のランバートに33歳のアンディが生体腎移植を申し出る話。
ランバートは黒人の老人(1997年当時では老人といえた)で若いアンディは白人でありました。
二人を結び付けたのは、ボーリング仲間であったこと。
世代も生活水準も人種も職業も越えた人としての感性が絆であったのです。
『我々アメリカ人はお互いを結び付けなければならない。』
本書のシンプルな主張はこの点にあるのです。
日本においても、町会や各種団体の組織率はどんどん低下してきており、
コミュニティの構成員が減少する中、どうやってコミュニティ機能を維持していくのか。
アメリカの「ボーリングコミュニティ」を眺めていると、日本の進むべき道が想像できるようです。
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