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 台東区議の堀越秀生「ほりこし日記」:

転換期を迎える日本に情熱でたちむかう!!継続中

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(2019/06/03(Mon.) 〜 2019/02/28(Thu.) )


  [5249] 孤独なボーリング 2019/06/03(Mon.)  


孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生 単行本 – 2006柏書房
ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原著), 柴内 康文 (翻訳)

【解題】
表紙の丸い写真は「ボーリング」風景。
通常「ボーリング」ゲームはグループでするのですが。
それを一人でするという”孤独”感を意味しているのです。

この本の中身は、アメリカのボーリングを愛するコミュニティの話です。
日本人には不思議でしょうが、戦後、アメリカではボーリングが町の娯楽であり、地域コミュニティの礎でもあったのです。
そう、台東区における「町会」や「お祭りの会」のように。
第二次大戦以後、あらゆる組織が活性化していて未来永劫参加者は増え続くものに見えていたのですが、
やがて参加者は減少し活動は縮小していく傾向に。この原因は何であったのだろうか?
日本も同じような現象が起きています。町会の組織率低下とか・・・。
あらゆる組織が、参加者の減少により高齢化とともに消滅しつつあるのです。

コミュニティにおける「社会関係資本」とは、人間関係である「コネ作り」のことですね。
「誰を知っているか」が仕事を見つけることでもありました。
アメリカも日本も発展している時期にはこの「社会関係資本」がものをいったのです。同郷、学閥、同門など。
これらの関係は、結束でもあり、橋渡しでもあるのですが、決して重要な要素ではなくなってしまいました。
だからなのか、旅行を扱う代理店にしても、銀行・保険などの営業にしても、
町会などの一つに団体と深く付き合っていた「担当者」の価値が薄れてきた感。
つまり、専属で「コミュニティ」と付き合うメリットが、その組織率の低下で段々となくなってきたのです。

また、旧来の「コネ」世代であるベビーブーマーは60〜70代になり、現役を離れはじめているのです。
だからこそ、コミュニティの精力的な創始者達は80代になってしまい求心力を失ったのです。

そこで、本書は読者に語りかけます。
著者は膨大な資料と事例とを揚げながら、簡潔に、冒頭の序論の最終部で本書の目的を具体的に書いているのです。
64歳のランバートに33歳のアンディが生体腎移植を申し出る話。
ランバートは黒人の老人(1997年当時では老人といえた)で若いアンディは白人でありました。
二人を結び付けたのは、ボーリング仲間であったこと。
世代も生活水準も人種も職業も越えた人としての感性が絆であったのです。
『我々アメリカ人はお互いを結び付けなければならない。』
本書のシンプルな主張はこの点にあるのです。
日本においても、町会や各種団体の組織率はどんどん低下してきており、
コミュニティの構成員が減少する中、どうやってコミュニティ機能を維持していくのか。
アメリカの「ボーリングコミュニティ」を眺めていると、日本の進むべき道が想像できるようです。 

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5249 ]


  [5248] 選挙総括 ゴールデンウイーク 


思えば遠くへ来たもんだ。

これが、今回の選挙に対する私の感想です。
「十年一昔」という言葉がありますが、皆様に支えて頂き、私は20年間も区議をさせて頂きました。
この間、「行政主導」から「政治主導」への戦いに挑んできましたが。
小学校の時と変わらず、クラスに男子が20人いれば、戦闘士5人、馴れ合い10人、日和見5人という構図。
なかなか、改革派闘志が多数派になるのは難しい。
人間は幾つになっても、どの職場にいっても、この黄金比率は変わらないですねえ。
というわけで、台東区議会も先鋭的な改革は難しい環境です。
寄らば大樹・・・人間は切ない生き物です。(苦笑)

思い起こせば、私が議員になった頃、自由党は国会議員30名程の小さな政党で。
自民党学生部委員長時代から尊敬していた小沢一郎先生が率いる、政治に対する原理主義を貫く政党でした。
そして、あれから20年弱、民主党など他の勢力と結集して「政治改革」を掲げて政権も取りましたが。
結局は政権内の「官僚迎合・米国追従」の方達の力が強く、小沢の掲げる「政治主導・官僚改革」は頓挫したわけです。
そして、真剣に日本の行政構造を再構築しようとした小沢は、霞が関首脳と米国の反感を買いました。

世間的には小沢は「陸山会事件」で失脚したように、マスコミによって世の空気感は誘導されていますが。
自民党の甘利事件や小渕事件と異なり、収賄の構成要件が皆無で、尚且つ政治資金規正法においても
帳簿誤記に限られた疑義で秘書がいきなり逮捕という事態は法治国家としては異例。
事のつまり、これは明らかに国家権力側に意図があって、自民党政治家と違う法的対応をされたという。
まあ、ただ、この点に対して恨み節だけを述べていても仕方ないので。
現場にいる我々はもちろん、小沢に関係の無い皆様も、「日本の本当の仕組み」を深く理解することが要諦かと。
結局、いつの時代も「理想の政治」は「権力を貪る既得権層」との闘いなのです。

簡単に書けば・・・

国民と相思相愛とはいえなかったけど、自分の生きた「日本の政官の悪い部分」を変えようとした小沢が、
その国民によって「真の目的」を理解されないまま、誤解され続けて失脚していったという。
さて、この風景をずっと眺めてきた我々小沢一派、そして当の私は何を考えているのでしょう。
古い仕組みを変えられない、官僚主導を変えられない、そんな政治に嫌気がさしているのか。
あるいは、まともな民主主義国家に至らない日本政治に幻滅して、抜け殻のように適当に現場にいるのか。
最近、自分自身で己の心中を冷静に分析してみると・・・。
どうも、上記の両者とも、私の心の根と違う感覚、いや確信を覚えるのです。
台東区議会6期目としての心境を素直に書けば。。。

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とまで高飛車で自己満足的な思いはありませんが。
「臥薪嘗胆」、薪の上に寝て身を苦しめ、いつか会稽の恥を雪ごうと苦い胆を嘗めている日々です。

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5248 ]


  [5247] 初心を忘れず、新たなスタート!  平成31年4月吉日 


”Stay hungry, stay foolish”

皆様、誠にありがとうございました。
お蔭様で当選することができました。

今後も20年前の初陣でお約束した通り、行政の仕事に敬意を払いつつ、しかし行政に媚びることなく。
堀越らしく、シガラミの無い立場で、区民益のために議会で発言して参ります。
私の考えがぶれぬよう、そして思い込みで行動しないよう、皆様からの御意見・御指導を引き続きお願いします。

選挙後、公職選挙法の絡み、並びに諸般の事由で日記を休止しておりましたが。
新たに日記を再開します。

今後とも、宜しくお願いいたします。

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5247 ]


  [5246] 【選挙前最終投稿】〜放熱の証 尾崎を思う〜 週末独り言(3月第1週) 


この任期4年間、皆様の温かい御心に支えられ、
台東区で働くことができました。
誠にありがとうございました。

議会が終了してからの一週間、
日々、台東区を歩きました。
雨が降る日には谷中のお寺から沈丁花の香りが。
晴れた日には上野から綺麗な青空が見えました。

そして、思い出しました。

16歳の春。
大学の付属校に入学した当時、私は外部生で友達もいなくて。
学校が終わると東横線日吉駅から電車に乗って渋谷に行き、
中学時代の塾友達と一緒に遊んでいました。
ある日、私と同じ付属高外部生の彼が連れてきたのが有名になる前、高校1年の「尾崎豊」でした。
3人で夜まで渋谷センター街のゲーセンで遊んで。

もし、彼が生きていたら、今の時代にどんな歌を書くのか。
「あの頃と何も変わってねえな、今の時代も」と嘆くのか。
彼がいない今となっては、もう分からないことですが。
この20年間、そんな事を考えながら、ずっと政治に関わってきました。
そして、今回の選挙も変わらず…『僕が僕であるために』…を聴きながら始まりを迎えます。

これから、どんな時代になるのか誰にも分かりませんが。
時代と共に移りゆく台東区の中で、
初心を忘れず、これからも精進して参ります。

皆様、変わらぬ御指導の程、宜しくお願い致します。

時代を変える情熱、継続中!!

平成31年3月9日
台東区議会議員 堀越秀生

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5246 ]


  [5245] ウルリッヒ・ベックの社会論 2019/03/07(Thu.)  


東日本大震災から、まもまく8年経ちます。
今でも、選挙の関係で東北に行くと、まだまだ復興は難しいのだと思います。
見た目の街が復興しても、被災された方々の心、そしてまた「東北を避けるような他地方の目」は判然とあります。
ここまで書いてよいのか分かりませんが・・・
私の知人にも「東北はまだ怖いから温泉は南の方で」と偏見を持ち続けている方もいるのです。

そして最近、改めて、3年前に亡くなったドイツの社会学者の言葉を思い出すのです。
現代社会が抱えるリスクを警告した著書「危険社会」(1986年)で知られ、
福島第1原子力発電所事故を受け、脱原発を提言したドイツ政府の諮問機関
「倫理委員会」のメンバーも務めたウルリッヒ・ベックという社会学者がいました。
彼は地震などの災害による「原発の危険性」を指摘していました。

生前、彼の提言どおりにドイツでは「発展した現代社会の異物である原発段階的撤廃」を早々に決めました。
彼が「リスク社会論」で述べたところによれば、経済や科学技術の発展による富の社会的生産や政治的変革と並行して
多様で複雑化したリスクが社会的に生産される社会が出現したといいます。
まさにこれは、戦後の高度経済成長にのって、高生産化・合理化・効率化を求めてきた”日本の現実”でもあって。
ドイツで語った、彼の言葉は日本人の我々にも響きます。
果たして、日本は「3.11」の後に何処へ向かうべきなのでしょうか。
そんな事を考えている内に、その他の大地震が次対起こり、時代に思考が取り残されていく我々がいます。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

     すなわち,自立的かつ自律的に見える産業主義のシステムは、
     この21世紀初頭、自らの論理と境界を打ち破ることによって、自己を解消する過程に入った。
     この根本的な変化が,近代化が再帰的となる現代の位相の特徴なのである。
     近代化は、産業主義的近代の内部でさまざまな経路や潜在的可能性について苦心し続けるのをやめ、
     今や、産業主義的国民国家の社会的、政治的、文化的な基本原理と基本制度を捉え、
     これらを破壊することによって、産業主義的近代と対立する新しい潜在的可能性を拓く。
                                      (ウルリッヒ・ベック)

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5245 ]


  [5244] 新たな差別を生む可能性もある 2019/03/06(Wed.)  


前に日記に書きましたが、私が議員になって初めて触れた”政治新語”は『ジェンダー(gender)』でした。
選挙前、改めて思い出しました。

日本では『社会的文化的性差』という意味で捉えがちですが、本来は『社会的・文化的な性のありよう』が正訳。
だからなのか、「男女間の性的長所」の議論を先に封じ、「男女間の性的短所」ばかり論じ合ってきた感が。
実際に、私が大学生の時(1985年)に制定された「男女雇用機会均等法」からのそんな流れを汲んで、
「男女共同参画」という名のもとに女性中心的な行政事業が”ジェンダー事業”として拡散しています。
しかし本来は、『社会的・文化的な性のありよう』が政治では論じられるべきで、
男女が共に先天的に持っている特性や、性同一性について、
社会や政治が如何にあるべきかを考えることが重要なのだと思われます。

こうした人権感覚が進んでくると、政治の舞台でも様々な「弱者保護」の議論が出てきます。
最近では『アファーマティブ・アクション(affirmative action)』もその一例かもしれません。
これは「弱者優遇政策」のこと全体を指す言葉ですが、例えば、アメリカの民族比率に応じた従業員比率。
あるいは、大学入学定員の少数民族優遇策、管理職の民族比率の励行、etc,.
この「民族差別」の解放の意で唱えられた言葉を、日本では「生活弱者」に適用しようという左翼的な動きもあります。
・・・というのも・・・
この『アファーマティブ・アクション』という言葉の裏には故意に「差別」を社会論として浮き上がらせ、
「民族論で唱えらえる優遇政策要求」の歯止めにしようとする輩もいるからです。
まさに、社会に潜在的にある「差別」を先んじて論じ、それを守ることは「逆差別」のように煽る風潮。
実際、アメリカの大学の一部では、アファーマティブ・アクションを施行していることに対して強い批判があります。
学力が無い者を受け入れているという批判です。
また、企業においても就業能力の無いものを採用しなくてはならないことへの批判です。
事左様に、アメリカでは「差別主義」への批判を先んじて制し、「逆差別」ではないかという議論の種にもしているのです。

       政治は難しい。
       特に「民族・宗教・生活格差」を語る時には要注意。
       「差別」を問題にして取り上げている裏に、「差別主義」の先制攻撃の意図があったりする。
       交渉事の要諦でもありますが、「相手が問題にするより先に論じて安きで解決させる」という。    
       台東区議会でも、与党連が「子育て・高齢者福祉」の論議で使用する手法です。
       最初に”課題”を取り上げた者が、その”課題”の理解者だとは限らない。
       ここが政治の難しいところです。 

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5244 ]


  [5243] 「孤独なボーリング」 コミュニティ論 2019/03/05(Tue.)  


選挙前、またコミュニティ論の教科書である本を読んでいました。

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生 単行本 – 2006柏書房
ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原著), 柴内 康文 (翻訳)

【解題】
表紙の丸い写真は「ボーリング」風景。
通常「ボーリング」ゲームはグループでするのですが。
それを一人でするという”孤独”感を意味しているのです。

この本の中身は、アメリカのボーリングを愛するコミュニティの話です。
日本人には不思議でしょうが、戦後、アメリカではボーリングが町の娯楽であり、地域コミュニティの礎でもあったのです。
そう、台東区における「町会」や「お祭りの会」のように。
第二次大戦以後、あらゆる組織が活性化していて未来永劫参加者は増え続くものに見えていたのですが、
やがて参加者は減少し活動は縮小していく傾向に。この原因は何であったのだろうか?
日本も同じような現象が起きています。町会の組織率低下とか・・・。
あらゆる組織が、参加者の減少により高齢化とともに消滅しつつあるのです。

コミュニティにおける「社会関係資本」とは、人間関係である「コネ作り」のことですね。
「誰を知っているか」が仕事を見つけることでもありました。
アメリカも日本も発展している時期にはこの「社会関係資本」がものをいったのです。同郷、学閥、同門など。
これらの関係は、結束でもあり、橋渡しでもあるのですが、決して重要な要素ではなくなってしまいました。
だからなのか、旅行を扱う代理店にしても、銀行・保険などの営業にしても、
町会などの一つに団体と深く付き合っていた「担当者」の価値が薄れてきた感。
つまり、専属で「コミュニティ」と付き合うメリットが、その組織率の低下で段々となくなってきたのです。

また、旧来の「コネ」世代であるベビーブーマーは60〜70代になり、現役を離れはじめているのです。
だからこそ、コミュニティの精力的な創始者達は80代になってしまい求心力を失ったのです。

そこで、本書は読者に語りかけます。
著者は膨大な資料と事例とを揚げながら、冒頭の序論の最終部で本書の目的を具体的に書いているのです。
64歳のランバートに33歳のアンディが生体腎移植を申し出る話。
ランバートは黒人の老人(1997年当時では老人といえた)で若いアンディは白人でありました。
二人を結び付けたのは、ボーリング仲間であったこと。
世代も生活水準も人種も職業も越えた人としての感性が絆であったのです。
『我々アメリカ人はお互いを結び付けなければならない。』
本書のシンプルな主張はこの点にあるのです。
日本においても、町会や各種団体の組織率はどんどん低下してきており、
コミュニティの構成員が減少する中、どうやってコミュニティ機能を維持していくのか。
アメリカの「ボーリングコミュニティ」を眺めていると、日本の進むべき道が想像できるようです。 

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5243 ]


  [5242] 行政主導の源 2019/03/04(Mon.) 


先月の予算委員会の内容を俯瞰してみて、議員生活20年の私が感じたことは例年の通り。

区民に台東区行財政の詳細が伝わりづらいのは、明らかに『監査制度の情報公開規定がない』という点に拠る所が大きい。
地方自治体の行政執行の公正と能率を確保するため、地方自治制度のひとつの重要な柱として「監査委員制度」があります。
地方自治法第199条によれば、監査委員は地方自治法に定められた職務権限により
市・区の財務に関する事務の執行、経営に係わる事業の管理及び市・区の行政事務の監査等を実施します。

そんな中、私が毎年、注目するのは「監査委員の独任制」についてです。
独任性とは合議制による委員会(教育委員会や選挙管理委員会など)とは異なり、
一人ひとりが独立して職務を遂行し意思を決定する事が「監査委員」には原則として認められていることです。
つまり、”行政監査上の疑問”があったとしたら、監査委員は一人一人が独立性を確保して、
調査や視察を行う権限があるのです。ただし、監査の結果に関する報告又は
監査の結果に基づく意見を決定するときは、合議によるものとされていますが。

決算書の執行内容をみると、監査委員報酬を除けば”監査事務局費用”だけが予算にあり、
”各委員”の 独立した活動などを担保する”予算措置”がなされていないのではないか。
簡単にいえば、現在の監査委員には行政官から干渉されない”独自の活動・視察”が
なかなか行いづらい仕組みになっていないだろうか?・・・と。

確かに、今まで行政側が答弁するように、「事務局費用の中で適切に行っている」のは理解できますが、
”独立した3人の委員”に帰属した”予算措置”が形式上あることが重要だと考えるのです。
監査事務で作業をしている委員や事務局、そして行政執行内容を委員に説明する各部課の行政官は、
監査事務詳細の煩雑さなどを実務として理解しているのでしょうが・・・。
その内部作業を知らない”区民”や”議会”からすると「監査委員の独立性」が何処で保たれているのか不明です。
だからこそ、他の行政事業と同様に”公開制度”が強く求められるのではないかと思うのです。

しかし、なぜか監査委員会の「議事録・会議内容」などの公開を定める法令はありません。
他の自治体条例を参考にしようと、私は国会図書館にも行きましたが、何も見つけられませんでした。
総務省などの中央省庁から地方自治体に向けて出される”通達の類”も見当たらず。
ここが、地方議員の一人として非常に疑問だったのです。
つまりは、『監査制度の情報公開規定』・・・これがないから、自治体も役人天国なのですよ。
さて、引き続き、闘っていきますかねえ。(笑)

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5242 ]


  [5241] 英語教育の在り方 週末独り言(2月第4週)  


前に日記に書いたのですが、再度、「語学教育の是非」について書いてみたいと思います。
今年も永田町で「今後の公立小中学校の語学教育」についての勉強会があったので行ってきました。
2014年12月に文部科学省が公表した『グローバル化に対応した英語教育改革実施計画』を端緒に、
一昨年2月から有識者会議では審議が進み、「読む」「書く」「聞く」「話す」の4つの技能について、
外部評価ができる資格検定試験を大学入試などに導入することが決まったそうな。
新聞などで、「大学入試にTOEIC等を活用する」と記事が出ていたので、御存じの方も多いと思います。
文部科学省の調査によると、2013年入試では、全国の約7600大学のうち、
206大学が推薦入試、142大学がAO入試、34大学が一般入試に活用(一部重複)。
ただ、4技能の資格試験を導入するに当たり、地方の高校との「教育格差」が生まれる恐れもあるため、
文科省はこうした問題を解決しながら、時間をかけて外部試験の導入を進める予定だといいます。

実は先日、黒門小学校のある保護者から、高校受験における語学勉強法などについて質問されました。
たまたま、その方の御子息が私の母校を受験されるということで、かなり突っ込んで聞かれたのですが。
正直、今の高校受験英語は私達の時代と隔世の感があり、その傾向と対策も複雑多岐に渡ります。
私の頃は、高校2年程度の英文法と基礎単語・熟語を習得すれば、ある程度は対応できたのですが。
今は正直、母校の教職員などから聞くと、上に書かれた4技能を平均的に維持していないと難しいと。

しかし、こうした文科省の英語教育における新しい取組みの話を聞くと、
我々の世代の「英語教育」とは何だったのかと、憤りさえ覚えますねえ。
一般的に相当な受験英語レベルを維持して高校に入学しても、大半の生徒が英会話が流暢ではないという現実。
英会話能力という観点で総括すると、今までの日本の英語教育なんて実践に何の役にも立ちませんからねえ。
実際、自分の経験から言っても、受験で相当に勉強した英語は未だに会話能力が乏しいのに、
社会人になって仕事で多用した広東語は、まともな文法教育も受けていないのに香港人と普通に会話できます。
もちろん、広東語のテレビニュースなどのヒヤリングもOKで。
やはり、語学は座学より実践だと痛感する次第です。
今後、地方議員としても、「読める受験英語」より「話せる日常英語」に重点を置き、
台東区教育政策における『実践語学の大切さ』を議会などでも発言していこうと考えております。

  「人生充満酸甜苦辣」

人生はいろいろあるから楽しいのです。

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5241 ]


  [5240] 震災から8年 2019/02/28(Thu.)  

東日本大震災の復興政策を担う復興庁が、2020年度末の設置期限まで約2年となりました。
同時に「復興・創生期間」の取り組みも終了するそうです。
ただ、被災地の復興はいまだ道半ば。
引き続き財政的、人的な支援が必要なことは言うまでもありません。

後継組織について、同庁は先月まとめた復興基本方針の見直しに関する骨子案でも明確にしていません。
こういう時、だいだい役人はしっかり次の事を考えていて。
きっと、地域に推されて受け皿を必ず作ってくれるはずです。
共同通信が岩手、宮城、福島3県の被災42市町村長に行ったアンケートでは、
なんと9割の首長が後継組織の必要性を訴えています。


震災後、東北の42市町村のうち25市町村では、震災前と比べ10%以上も人口が減ったそうです。
高齢化率が30%を超える自治体も目立ちます。
人口減や高齢化もふまえた新たな支援の枠組みを練り直さなくてはなりません。

復興担当相は他省庁への勧告権を持つなど復興行政の「司令塔」役を期待されているのに、
その権限を十分に発揮している印象は薄いですね。
同庁の業務は交付金の配分や自治体との調整にとどまり、
職員は各省庁からの出向、短期間で交代する例も多いとか。
こうした体質を残したまま後継組織に移行しても、被災地の願いを実現できる体制にはなれません。
まだまだ原発の問題も解決されていないし、今後、ますます被災地の自治体の役割は増してきます。
多くの議員仲間がいる岩手県を中心に、今後も被災地の現状を報告してまいります。

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5240 ]




 
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