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 台東区議の堀越秀生「ほりこし日記」:

転換期を迎える日本に情熱でたちむかう!!継続中

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(2019/06/25(Wed.) 〜 ゴールデンウイーク)


  [5257] 介護のビジネス化・・・準備万端? 2019/06/25(Wed.)  

今議会、久々に保健福祉委員会に復帰した。
そして、議事録、保健福祉関係本など、独りで勉強を始めたところ感じる所があった。それは、安倍総理になってから「介護のビジネス化」が随分と進んだ気がする、というもの。(私見?笑)よく、「日本の介護は公的なものだから、アメリカのようにビジネス化する心配はないだろう」という方がいるが、議員として感じる所は真逆の予想だ。

たとえば、アメリカではフランチャイズの民間老人ホームや介護施設のリート(不動産投資信託)の人気が高く、老人施設の入居率9割以上の世界で高配当となっているが。投資家からすれば「公的制度」である日本の介護こそ、更に安定した配当を得られるマーケットのはずで。その流れの中で政府は介護保険適用外サービスについて議論を始めたし、介護職の外国人研修制度の門戸も拡充した。

仮に介護保険適用外サービスが解禁され、保険適用のサービスと組み合わせて「混合介護」が可能になると、事業所はサービスの内容、価格を自由に決められるため「利用料アップ」の道が開かれるわけで。そうなれば当然のことながら、介護のビジネス化、投資先としての介護の需要は高まっていくだろう。事のつまり、アメリカの介護市場の後追いを、「公的制度」を抱える日本は加速度的に速めていくという未来図が想像できるわけだ。

その挙句、富裕層向けの保険外サービスは大盛況となり、そこに参加・対応できない貧困層の利用者は蚊帳の外に置かれることになる。本当に介護が必要になった時、見渡せば日本には高額な富裕層向けの介護施設ばかりということになりかねない。何でも「アメリカ万歳」の安部総理、本当に心配だ。

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5257 ]


  [5256] 天安門事件から30年 週末独り言(6月第3週) 


中国の共産党政権が、民主化を叫ぶ学生らを武力弾圧した1989年の天安門事件から、4日で30年を迎えた。悲劇が起きた北京の天安門広場はきのう、厳戒態勢が敷かれた。中国政府がいまだ天安門事件に神経をとがらせているのは明らか。事件は改革派指導者の胡耀邦・元共産党総書記の死をいたみ、天安門前広場に集まった学生らの行動が発端だ。民主化要求運動に発展し、当局の武力行使で多くの市民が銃撃される惨劇となった。

死者は319人と発表されたものの、真相は謎のままだ。中国政府は事件を「政治風波」と位置付け、弾圧を正当化してきた。だが人権や言論の自由が普遍的な価値として広く認められている今日、中国政府の姿勢は到底容認できない。とりわけ習近平指導部は、国家主席の任期制限を廃して習氏の長期支配を可能にし、強権化を進めている。事件の真相解明や犠牲者の名誉回復、政治改革を求める知識人や活動家らを投獄するなどして事件を封印。事件当時の運動リーダーで、ノーベル平和賞を受賞した民主活動家の劉暁波氏も一昨年事実上、獄中死した。民主化を拒絶し、独裁色を強める姿勢は、国際社会の強い失望と警戒感を招いている。

以前、私は胡耀邦の本を読んだ。

1989年6月の天安門事件で失脚し、約16年も幽閉されたまま死去した趙紫陽・元中国共産党総書記が軟禁中に残した言葉をまとめた本。中国版の題名は『改革歴程』、英語版の題名は『Prisoner of the state』。
天安門の歴史的な演説から16年も幽閉されてもなお、次世代の中国を担う若者たちに”国家の在り方”や”若者への期待”を語り続けた趙紫陽。その政治家としての先見性と勇気には敬服するしかない。外交部の孔泉報道官の言葉を借りれば「党内で結論が出ている」となり、現時点における趙紫陽の再評価は考えられないと言われているが、趙の失脚と死により、中華人民共和国の民主化、経済成長は大きなダメージを受けたと言わざるをえない。

いつか必ず、中国が成熟した民主国家となった時に”趙紫陽”の名前は歴史的に再考されるだろう。

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5256 ]


  [5255] 一般質問 2019/06/12(Wed.)  

代表質問に引き続き、今日は一般質問。
各会派代表の皆さんが順番に区長に質問。
我が会派は新人区議3人でした。

前に「作家・伊集院静氏」のインタビューをラジオで聞いたことがあるのですが、
大して売れない本を書く小説家が万といる現状について、非常に興味深い話をしていました。
彼曰く・・・
『自分みたいな作家が次々と本を出すのは、百年に一度出るから出ないかの
歴史的な小説家の誕生までの繋ぎなんです。たとえば、夏目漱石とか司馬遼太郎とかねえ・・・。』
なるほど、謙虚な言葉の中にも、歴史を紡ぐ偉大な小説家の狭間で、実は普通の作家が文壇を支えている事を知ります。
まあ、つまり、普通の社会だって、平凡に生きる我々一般人こそが、「歴史上の偉人」に連鎖する立役者なのです。

なんで、こんな事を書いたのかというと・・・
実は先日、私の事務所に時々立ち寄ってくれる中学生に頼まれて、彼の宿題の数学問題を解いた時、
数学の世界においても伊集院氏と同じようなことが頭に浮かんだからなのです。

私は中学校受験の経験のせいか、何より数学、特に図形問題が大好きなのですが。
それゆえ、中学生が私に頼んだ宿題も「三角形の合同」という図形問題だったのです。
久々に図形問題に直面し、実に懐かしく、楽しい時間となりました。
そして、数学の問題を解きながら、ふと、前述の伊集院静氏と同じような事を思ったのです。。。

考えてみれば、ユークリッドの幾何学だって、ユークリッドの時代には、
三角形の合同だとか円周角が等しいだとか、それが世の何に役立つのかも考えずに数学をしていたわけで。
その後、2000年近くも経過した頃に、ニュートンがユークリッドの幾何学を天文学等に応用して、
人間は初めて、ユークリッドの幾何学が人類の発展に重要に関わり合っていることを知ったのです。
つまり、世間で言われるとおり、ニュートンの微分積分の基礎は、すべてユークリッド時代のものなのです。
そうやって考えていくと、「ユークリッド」と「ニュートン」の間に生きた数学者達は、皆が繋ぎなわけで。
人類の『集合知の発達』には、天才と天才の狭間を生きる凡人が一番貢献しているのだと痛感します。

なんか、訳の分からい事を徒然と書きましたが・・・政治、民主主義も同じなんでしょうねえ。


【一般質問・・・ここがサイト




[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5255 ]


  [5254] 代表質問 2019/06/11(Tue.)  


先週から始まった令和初の第二回定例会も本日は代表質問。
会派を代表して、私から区長に質問しました。

区長は今年度の予算については編成に先立ち、「予算編成方針会議」を開催し、
区政の課題や財政状況などについて全庁的な意識の共有化と庁内議論を深めた、と仰っていました。

区議会議員の一人として、私も、それくらい意識を集中して行政全体が心一つで各事業に取り組んでいかないと、
今後の安定的な財政運営を維持していくのが難しくなる局面が地方自治体である
台東区の将来にあるのではないかと考える次第であります。

今、日本を取り巻く国際環境を眺めると、1985年のプラザ合意以降世界経済が推進してきた
金融グローバル化の流れの中で、トランプ米国大統領に象徴される時代に逆行したような一国至上主義の台頭、
そしてそれに伴う不均衡是正による通商問題が世界経済に与える影響や金融資本市場の変動の影響等。
正にモダンとポストモダン、グローバリズムと反グローバリズムという真反対の現象が
同時に表れているような不思議な時代となってきた感があります。
そんな時代では、行政における税収見込みも簡単には立ちづらい難しい時代になったと実感しております。

23区の一つである台東区において常に行政運営・財政運営の点で大きく関わる東京都の税収の動きについても、
国の平成20年度税制改正によって、全体の収入額を人口および従業者数を基準に
地方法人特別譲与税として都道府県に譲与する制度が創設され、改正後わずか6年間で
東京都は累計1兆円にものぼる税収減になったともいわれています。
この辺については、区長にご就任される前、都議会議員をなさっていた服部区長は深くご理解されていると思います。
こうした都財政の変化は、当然のことながら、都区間でかわされる財政調整などにも多大な影響を及ぼし、
結果として特別区である台東区の予算見通しについても影響してくるのではないかと、
区議会議員の一人として考えるところであります。

【代表質問項目】
1、財政について
・区長の2期目最初の補正予算への思い
・今後の財政見通し
・安定的な財政運営
・消費税増税時における地方税の国税化拡充

2、子どもの権利条例について
・教育現場の人権教育の現状
・多様化する子どもの人権侵害への認識
・子どもの権利条例の制定提案

3、観光地域づくり「日本盤DMO」について
・区長の区内観光振興への思い
・創設のための制度的課題
・他地域との情報交換と区民・関係団体への周知



[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5254 ]


  [5253] 若者よ、選挙に出でよ! 週末独り言(6月第2週) 


    一度きりの人生、『寄らば大樹』じゃねえ。
     
     政治に文句ばかり言っている”台東区の若者”よ。
     次の選挙の場に出て、一緒に戦おう。
     求めているだけでは始まらない、行動しないと。
     放っておくと・・・安易な「自民党の先祖返り勢力」が台東区を跋扈するぞッ。(笑)

      『選挙に出でよ、台東区の気概ある若者よ!!』
     
     最近、お世辞ではなく、深谷隆司氏や田口はるよし元区議は偉い政治家だと思うようになりました。
     「政治家は一代」という言葉、見事に実践したわけだから。
     ある意味、「人生の評価」は実践する人のみが得られるのだと実感。

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5253 ]


  [5252] 小沢一郎の言葉の重み 2019/06/06(Thu.)  


最近の永田町を眺めていると、尊敬する小沢一郎の言葉を思い出す。

      民主主義は社会民主主義の要素を取り入れることによって生き延びてきた。
      原始資本主義はまったくの自由放任だった。
      そこから共産主義と民主主義が生まれたけれども、共産主義は自己矛盾を抱えて崩壊した。
      「新自由主義」という言葉があるが、それは原始的な民主主義に戻そうという話だ。
      安倍さんの経済政策は、その考え方だろう。
      自由競争で勝った者だけが生き残ればいい、負けた者はいらないという考え方。
      僕からすると、反歴史的な政策に見える。
                                 (小沢一郎)


[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5252 ]


  [5251] 子供達の自立支援を考える 2019/06/05(Wed.) 


大学時代にお手伝いしていた児童養護施設の関係で「子供たちの自立支援策充実」の勉強会に出席しました。
今、親の虐待や困窮、死を越え、ひとり立ちしようという子供たちの社会問題が山積しています。

たとえば、施設で暮らす子どもたちは、児童福祉法により原則として18歳、
多くは高校卒業とともに退所を迫られるのが現状ですが。
親に頼れず、公的な支援もほとんどない中、自立には困難がつきまとうのが現実です。
都児童福祉入所施設協議会の調査では、施設を出て1年以内に転職するか無職になる子どもは半数に上ります。
困窮し食べることもままならなくなったり、お金の管理や自炊に戸惑ったりと、生きていくのに苦闘しているのです。
虐待などで大人への不信を抱いている子どもも多く、対人関係に苦労も大きいのです。
そこで、20歳になるまで施設などで過ごせるようにできないか問う意見も多数あるのですが。
厚生労働省の専門委員会が検討し、今国会に提出した児童福祉法改正案には、その規定が盛り込まれませんでした。

一方、一時保護中に施設に入れる対象は20歳未満に拡大します。
共同生活による支援施設「自立援助ホーム」も22歳の年度末までの学生を対象に加えましたが、
施設数が少なく利用者は限られます。子どもたちの厳しい現状をみれば、さらなる支援充実の必要性は明らかです。
周りの人に助けてもらいながら社会とつながります。
信頼できる大人と出会う。働くこと、自分に合う仕事を考える。
そんな機会をつくるのが目的です。
これらは、子どもたちに対する社会の理解にもつながっているのです。
しかし、これらは支援策の一つでしかなく。
人と関わって相談できる力やお金の管理、食事作りなどを身につけられるよう、施設での養育に工夫も必要かと。
また、施設を出た子どもが困ったとき、相談に乗り、支える仕組みも求められるわけで。
親に代わって社会で育てる子どもたちが、自立して生きていけるよう育み、支えるのが社会の責務と痛感します。

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5251 ]


  [5250] 選挙が近いと自民党は 2019/06/04(Tue.)  


選挙になれば「耳に心地よいこと」を言うのは政治の常。
自身のことを振り返ってみても、例外ではないと反省することも多々。
しかし、「事実を伝えない」「事実を隠す」となってくると話は別で、政権与党のズル賢さも見え隠れします。
「庶民の暮らしを考えて」とかなんとか・・・
いかにも「弱者の味方」という姿で枕言葉を連発しながらも、
「庶民のための政治」なのか「権力のための政治」なのかと理解できなくなる政治連もあるような。

皆さんはご存知でしょうか?

”国の財政が大変だ”と言われて導入された消費税は1989年に3%、97年に5%、そして今は8%。
一方、法人税はというと、84年に43.3%、89年に40.0%、90年には37.5%。
そして、98年には34.5%になり、99年には30.0%になり、なんと2012年には25.5%に。
消費税が導入された1989年から見ても、法人税は14.5%も減少しているのです。
さらにこれから、38.01%(法人税・法人住民税・法人事業税の合計)の法定正味税率を20%まで下げると。

まあ、「日本の企業力」を世界と対等にするという目的のためには仕方ないと言われるかもしれませんが、
政治として、ここで問題にしたいのは「税収の検証」であります。
いわゆる法人3税(法人税・法人住民税・法人事業税)の税収は1989年が最高で29.8兆円。
現在は17.6兆円まで下がってきていて、累計では89年から255兆円も減収となっています。
一方で消費税導入の89年から現在までの消費税税収総額は282兆円で。
事のつまり、消費税の税収が、そのまま法人減税の原資になっていることに気づきます。

驚くことに、私が先日読んだ『税金を払わない巨大企業(文春新書)富岡幸雄・著』によれば、
実行税負担率1位の三井住友ファイナンシャルグループは1479億円の利益に対して納税額は300万円。
2位のソフトバンクでも、利益788億円もあるのに納税額は500万円とのことです。
これは、法人税には特別措置法による政策減税などの優遇措置が多くあったり。
輸出企業では、海外の売り先から消費税を取れない事情もあるので「消費税還付金」なる優遇措置があるからです。

生きるている限り、毎日の夕飯の買い物をしなければならない庶民にとって、消費税は逃れられない税金。
そんな苦しく、生活を追い詰める消費税を10%にまで上げることは確約しておいて。
一方で、「庶民からとった消費税」を原資に大幅に減税した「法人税」の話は絶対にしないという人々。
こんな輩が仕切る政権与党なんて、信じられるはずもありません。
そして、挙句の果てには、「食料品などの日用品には軽減税率を」などと平気で叫ぶ。
まさか、選挙後に「新聞も一緒にね」とは言わないと信じますが。
本当の「庶民の味方」とは誰か?
そろそろ、他力本願のお願いばかりの生活から離れ、
一人一人が自立して生きる、そんな悟りが必要だと思われますが。。。

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5250 ]


  [5249] 孤独なボーリング 2019/06/03(Mon.)  


孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生 単行本 – 2006柏書房
ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原著), 柴内 康文 (翻訳)

【解題】
表紙の丸い写真は「ボーリング」風景。
通常「ボーリング」ゲームはグループでするのですが。
それを一人でするという”孤独”感を意味しているのです。

この本の中身は、アメリカのボーリングを愛するコミュニティの話です。
日本人には不思議でしょうが、戦後、アメリカではボーリングが町の娯楽であり、地域コミュニティの礎でもあったのです。
そう、台東区における「町会」や「お祭りの会」のように。
第二次大戦以後、あらゆる組織が活性化していて未来永劫参加者は増え続くものに見えていたのですが、
やがて参加者は減少し活動は縮小していく傾向に。この原因は何であったのだろうか?
日本も同じような現象が起きています。町会の組織率低下とか・・・。
あらゆる組織が、参加者の減少により高齢化とともに消滅しつつあるのです。

コミュニティにおける「社会関係資本」とは、人間関係である「コネ作り」のことですね。
「誰を知っているか」が仕事を見つけることでもありました。
アメリカも日本も発展している時期にはこの「社会関係資本」がものをいったのです。同郷、学閥、同門など。
これらの関係は、結束でもあり、橋渡しでもあるのですが、決して重要な要素ではなくなってしまいました。
だからなのか、旅行を扱う代理店にしても、銀行・保険などの営業にしても、
町会などの一つに団体と深く付き合っていた「担当者」の価値が薄れてきた感。
つまり、専属で「コミュニティ」と付き合うメリットが、その組織率の低下で段々となくなってきたのです。

また、旧来の「コネ」世代であるベビーブーマーは60〜70代になり、現役を離れはじめているのです。
だからこそ、コミュニティの精力的な創始者達は80代になってしまい求心力を失ったのです。

そこで、本書は読者に語りかけます。
著者は膨大な資料と事例とを揚げながら、簡潔に、冒頭の序論の最終部で本書の目的を具体的に書いているのです。
64歳のランバートに33歳のアンディが生体腎移植を申し出る話。
ランバートは黒人の老人(1997年当時では老人といえた)で若いアンディは白人でありました。
二人を結び付けたのは、ボーリング仲間であったこと。
世代も生活水準も人種も職業も越えた人としての感性が絆であったのです。
『我々アメリカ人はお互いを結び付けなければならない。』
本書のシンプルな主張はこの点にあるのです。
日本においても、町会や各種団体の組織率はどんどん低下してきており、
コミュニティの構成員が減少する中、どうやってコミュニティ機能を維持していくのか。
アメリカの「ボーリングコミュニティ」を眺めていると、日本の進むべき道が想像できるようです。 

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5249 ]


  [5248] 選挙総括 ゴールデンウイーク 


思えば遠くへ来たもんだ。

これが、今回の選挙に対する私の感想です。
「十年一昔」という言葉がありますが、皆様に支えて頂き、私は20年間も区議をさせて頂きました。
この間、「行政主導」から「政治主導」への戦いに挑んできましたが。
小学校の時と変わらず、クラスに男子が20人いれば、戦闘士5人、馴れ合い10人、日和見5人という構図。
なかなか、改革派闘志が多数派になるのは難しい。
人間は幾つになっても、どの職場にいっても、この黄金比率は変わらないですねえ。
というわけで、台東区議会も先鋭的な改革は難しい環境です。
寄らば大樹・・・人間は切ない生き物です。(苦笑)

思い起こせば、私が議員になった頃、自由党は国会議員30名程の小さな政党で。
自民党学生部委員長時代から尊敬していた小沢一郎先生が率いる、政治に対する原理主義を貫く政党でした。
そして、あれから20年弱、民主党など他の勢力と結集して「政治改革」を掲げて政権も取りましたが。
結局は政権内の「官僚迎合・米国追従」の方達の力が強く、小沢の掲げる「政治主導・官僚改革」は頓挫したわけです。
そして、真剣に日本の行政構造を再構築しようとした小沢は、霞が関首脳と米国の反感を買いました。

世間的には小沢は「陸山会事件」で失脚したように、マスコミによって世の空気感は誘導されていますが。
自民党の甘利事件や小渕事件と異なり、収賄の構成要件が皆無で、尚且つ政治資金規正法においても
帳簿誤記に限られた疑義で秘書がいきなり逮捕という事態は法治国家としては異例。
事のつまり、これは明らかに国家権力側に意図があって、自民党政治家と違う法的対応をされたという。
まあ、ただ、この点に対して恨み節だけを述べていても仕方ないので。
現場にいる我々はもちろん、小沢に関係の無い皆様も、「日本の本当の仕組み」を深く理解することが要諦かと。
結局、いつの時代も「理想の政治」は「権力を貪る既得権層」との闘いなのです。

簡単に書けば・・・

国民と相思相愛とはいえなかったけど、自分の生きた「日本の政官の悪い部分」を変えようとした小沢が、
その国民によって「真の目的」を理解されないまま、誤解され続けて失脚していったという。
さて、この風景をずっと眺めてきた我々小沢一派、そして当の私は何を考えているのでしょう。
古い仕組みを変えられない、官僚主導を変えられない、そんな政治に嫌気がさしているのか。
あるいは、まともな民主主義国家に至らない日本政治に幻滅して、抜け殻のように適当に現場にいるのか。
最近、自分自身で己の心中を冷静に分析してみると・・・。
どうも、上記の両者とも、私の心の根と違う感覚、いや確信を覚えるのです。
台東区議会6期目としての心境を素直に書けば。。。

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とまで高飛車で自己満足的な思いはありませんが。
「臥薪嘗胆」、薪の上に寝て身を苦しめ、いつか会稽の恥を雪ごうと苦い胆を嘗めている日々です。

[ http://www.horikoshi.org/cgi-bin/note2/c_note.cgi?v=5248 ]




 
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